私がしてる推し活は、推し活じゃなかったかもしれない

目次

私にとって推し活とは

私にとっての推し活は、好きなアーティストに影響を受けることだ。

いかにそのアーティストを知る前と後で自分の人生が変わるか。

自分の推し活の成果はそれだと思っている。

「人生が変わる」とは、どういう意味なのか。

それは、私にとって「より自分らしい人生になる」という意味だ。

本当の自分の姿に近づくこと。

内面的にも外見的にもそうだし、生き方もそう。

自分らしい姿で、自分らしく生きている状態こそが私が推し活から得るものだ。

なぜ推し活が自分らしさに繋がるのか

なぜ好きなアーティストを推すことで、自分らしい人生を送ることに繋がるのか。

これは私の個人的な意見だが、人はすでに自分の中に「種」として持っているものを「花」として咲かせている人に惹かれると思うからだ。

「種」の状態だと、自分もその存在に気づいていないことが多い。

例えば私は、自分がLGBTQ+コミュニティの一員だと気づくずっと前からYouTubeでLGBTQ+関連のチャンネルを見ていた。(ちなみに私はノンバイナリーといって、心の性が女性でも男性でもないと自覚しているのでTの中に属する。)

昔からそういったチャンネルに惹かれていたということは、「花が咲いた」状態でYouTubeで活躍していた人たちに、私の中の「種」が共鳴していたということだ。

それと同様で、私が強く惹かれるアーティストは、私が持っている「種」が花開いた姿を見せてくれている。

そのアーティストは韓国のXLOVというアイドルグループだ。

XLOVが咲かせている「花」

XLOVが咲かせている「花」は、 

「ジェンダーレス、セクシー、クィア、コンフィデント」

である。

解説すると、XLOVは常にジェンダーレスなセクシーさを表現している。男性や女性が異性に向けて表現するセクシーさではなく、ジェンダーレスな人たちが、それをいいと思う人たち全員に向けて見せるセクシーさ。これが私が求めていたセクシーさだった。これを見たいし、自分も表現したいと思う。

クィアというのはLGBTQ+全般を指す言葉で、クィアカルチャーには特有のダンスやビジュアルがある。XLOVはそれをダンスやファッションで表現している。2026年6月に出た新曲「Serve」のダンスはヴォーギングという種類で、1960年代にニューヨークのLGBTQ+コミュニティにいたアフリカ系、ラテン系のトランス女性によって創り出され、発展した。私はヴォーギングを含むクィアなダンスやビジュアルが、それ以外のものでは全く代替できないほど好きだ。

そして、XLOVは自分たちが受け入れられない可能性が高い場所へ、自信と信念を持って突き進んでいく。私はそのコンフィデントな(自信を持っている)生き方に感銘を受けている。

自分の「種」が「花ひらく」とは

では、XLOVの影響を受けて私の「種」が同じように花開いたとして、それは具体的にどういう意味なのか。

もちろんアイドルと同じようなスケールで咲かせたいと言っているわけではない。

私の人生にフィットする形で、この花を咲かせたいと思っている。

例えば、

  • ジェンダーレスなファッションや髪型をする
  • セクシーな表現ができるようになるまでダンスを習う(「種」はあるんだからできるはず!)
  • クィアなイベントに行ってカルチャーを楽しみ、クィアな友達を作る
  • 「これが自分」という自信を持ちながら人と接する

次の部分では、私がここ1年ほどの間にXLOVにどう影響を受けたかについて書いていく。

これが、私の「種」が芽生えて成長していく過程だと思っている。

XLOVに影響を受けてどう変わったか

服と髪型をより自分らしくアップデートした

これまでなんとなく着ていた服をリサイクルショップに持っていき、本当に着たいと思う服を買い揃えた。

服は数ヶ月かけて、何度も返品しながら吟味して選んだ。

私が表現したいジェンダーレスなビジュアルは胸がフラットなため、ナベシャツも買った。どれを買えばいいかわからず最終的には5着買ったが、うち2着は使い物にならず、勉強になった。

(WonababiとNstyleのものがよかった)

髪型もなんとなく伸ばしていたのをウルフカットやレイヤー入りのスタイルに変えた。

美容室はLGBTQ+フレンドリーなところの方が自分の理想の髪型をわかってもらえると思い、探して行った。

ノンバイナリーのオンラインコミュニティに入った

私が大好きなクィアカルチャーをシェアできる仲間と出会いたかった。

クィアカルチャーはわからない人たちとシェアしても、理解されなかったり、変だと言われたりすることが多いのでそうではない場所が欲しかった。

また、自分のノンバイナリーとしてのアイデンティティもオープンにできる場所と仲間が欲しかった。

結果、XLOVの動画をシェアしたり、メンズメイクや男装コスプレを一緒に楽しむ仲間に出会えた。

ダンスクラスに通い始めた

ダンスは始めてから今4ヶ月目(2026年6月現在)で、とても居心地が良く、心から楽しんで通っている。

このクラスでは「アフロダンス」というアフリカ由来のダンスを習っている。

ここを選んだきっかけはXLOVの「1&Only」という自分がハマった曲がアフロ系な曲だったことと、世界的に今アフロ系の音楽がきていてビートがかっこいいと思ったからだ。

K-Popのダンスクラスではないのだが、それも自分に合っていると思う。なぜなら、XLOV以外のK-Popのダンスは結構「女性らしさ」や「男性らしさ」が求められると思うから。

そういえばこのクラスに、「女性らしさ」や「男性らしさ」というワードが全く出てこないことも自分が居心地良くいられる理由だと思う。

少し余談だが、私は中性をベースに、あくまでも演技として女性らしくするならいいのだが、自分が女性として女性らしくすることにはとても抵抗がある。これが私のノンバイナリー的な感覚だと思う。

ドラァグクイーンのショーに行ってみた

新宿でドラァグクイーンのショーがあることを知り、一人で行ってみた。

これまで一度も足を踏み入れたことのない空間だったため、行く前は気持ち悪くなるほど緊張した。

でも、自分らしく生きたいと思い勇気を出して行った。

結論としては、自分が知らない人たちが知らない音楽で踊ったり歌ったりするので、思っていたようには盛り上がれなかったけれど、自分が好みだったパフォーマンスはとても楽しめた。そのダンススタイルはヴォーギングだった。

ドラァグクイーンのショーは、自分がすでにファンになっているアーティストのライブに行く感覚とは違うということを知れて、勉強になった。

あと、たまたま一人で来ていたクィアな人と知り合うことができ、ますます世界が広がった。

私がしていない推し活

ここからは、私がしていない推し活について書いていく。

この推し活の方が一般的なんだろうなということに最近気づいた。

まずお伝えしたいのが、自分は個人的にこの推し方をしていないというだけで、この推し方をしている人たちを批判する気持ちは1ミリもない。全ての推し活をしている人たちが幸せであってほしい。

「これをしない人もいるんだ〜」くらいのテンションで、軽い気持ちで読んでいただけると嬉しい。

推しを応援すること

もちろん大きな意味(活動していてほしいという意味)では応援してるけど、日々自分が推しを応援しているという意識はない。

「推しは私より成功してるんだから、私が応援する必要ある?(笑)」って思ってしまう。

応援するファンがいてこそのアーティスト活動っていうのはわかるけど、私自身はその役割の人ではないと感じる。

推しのためにお金を使うこと

お金は推しのためじゃなくて自分のために使っている。ライブに行くのもアルバムやグッズを買うのも自分のため。

ライブは生で歌を聴いたり、踊りとビジュアルを見て、心身ともに影響を受けるために行く。

前回はあまりの美しさに圧倒されて少し病んでしまったけど、徐々に回復して、そのインスピレーションを栄養にできた。

アルバムの写真やポスターも、それを見ることでインスピレーションを受けるために買う。自分の「種」が咲かせられる「花」の姿を見失わないために。

なので、推しのためにお金を使っているという感覚はない。

推しを親目線や親戚目線で見ること

私の場合は、推しに対して「頑張ったね」とか「成長したね」という気持ちが湧かない。

それは私が推しの成長を見守るポジションにいるのではなく、推しの背中を追いかけているからだと思う。

推しの種はもう花開いてる。自分はまだ成長過程。

繰り返すようだけど、「自分の種が花ひらく=アイドルと同じレベルで表現する」ではない。

自分の人生にあった形で自分の種を育てて開花させたいと思っているから、アイドルの成長を見届けるポジションにはいられない。

もちろん、成長を見守るポジションもとっても素敵だと思う。推し方は色々あって、それぞれが素晴らしいと思っている。

推しの成果を自分の成果でもあると思うこと

私はこれをしている人を全く悪いと思わない。

ただ自分は、推しはインスピレーションをくれるだけで、推しの成果は推しの成果、自分成果とは分けて考えている。

推しが輝いていると自分のことのように嬉しいと思うファンが多い中、私は推しが輝いてるともちろん嬉しいけど焦りも感じる。そんな推しを見ると、「自分もちゃんと進めてるかな?」と再確認せざるを得ないからだ。

ライブやカムバの時に、一時的に少し病んでしまうのはそれが理由だと思う。

でも、それは自分の成長に向き合って頑張っている証拠だとも思う。

私の推し活は、推し活なのか

では私がしている推し活は、推し活なのか?

もし、一般的に言われる「推し活」が、一つ前の「私がしていない推し活」の部分に書いたことなら、私は推し活をしていない。

今回考えて思ったのが、一般的に行われることと、自分が自然にやっていることの違いを見つけたり、それについて考えるのは有意義だ。

それをすることで、より「みんな」のことがわかるし、自分のこともわかる。

結果的に、自分みたいな人とも繋がりやすくなる。

私のように「普通」から外れがちな人にとって、稀にしか出会えない似た者同士で価値観を共有し合うことは、生きる上で必要不可欠だと思っている。

おわりに

アイドルを好きな人でも、その人によって好きなグループやアーティストはさまざまだ。

それぞれのファンが、自分が持っている「種」の「花」を咲かせているアーティストに惹かれているんだと思う。

自分の推し方について理解ができると、例えそれが一般的な推し方とは違ったとしても、自分でいることに対する居心地が良くなると思う。また、自分と似たような推し方をする人と繋がれる可能性も高まる。

今回の記事に、少しでも共感できる部分や面白いと感じられた部分があったら嬉しい。

どんな推し方をする人もお幸せに!

ではまた!

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